有為無常

思うことつらつら

一億総活躍社会

こんにちは。

今日はお休みなのでゆっくりと体を休めています。

そして明日からまた働いて、活躍しなければ。一億総活躍社会ですからね。

 

一億総活躍社会とは言うけれど、わたしは「日本の人口みんなが活躍して、輝いていける社会」ではなく、「日本の人口みんなが活躍しなければ継続できない社会」という意味なんじゃないかな、と思っています。

正直そんな国家さっさと潰れてしまえとも思うことがあります。なんて破滅的な思想。良くないですねえ(良くないですねえ……)

 

わたしの家(ひとり暮らしのマンション)にはテレビを置いていないのでニュース番組も見ませんし、新聞もアプリ版の経済新聞をたまに読む程度ですし、学問としても政治・経済には触れていないので、そこまで明るくないのですが、社会のことを知れば知るほど絶望を叩きつけられて、わたしたち、労働者世代がどれだけ蔑ろにされているのかを思い知ります。

そして、声を上げたところでわたしたちの声が届くことはないと考えてしまう人の多さたるや。

投票年齢を引き下げてもなお、若者の投票率が低いままであることが裏付けていますよね。わたしもその気持ちはわかります。

 

学校の授業等でもっと現在の政治・経済に触れてもいいのでは……

教育の話になると日が暮れて夜が明けそうなので割愛しますがなんといいますか、考える力、考えるために必要な材料をそもそも持ち合わせていない若者も多いと思います。若者に限らずかもしれませんが。

自分の身の回りのことがわかっていない、打開の仕方もわからない、そんな状態であることをうまく使われ、苦しい状況に置かれて、都合よく消費されているのが現実なのではないでしょうか。

 

最近わたしは社会への絶望感が一周回って、どうせわたしたちが犠牲になるのは避けられないのならば、今の子供たちが大人になった時に良くなっていればいいのに、と思うようになりました。それについて友人とたまに話すと、いつも投げやりな気持ちの議論になって終結してしまうのですが……

この発想はネガティブの中のポジティブといえばそうかもしれません。しかし至極悲観的で自己憐憫に満ちていて気持ちの悪い発想とも思えます。偽善っぽくて。他人のために自分が犠牲になるわよ、かわいそうでしょ、って言っているようで。我ながら寒気がします。こういう趣旨の発言をする人間は信用出来ないので自分からその発想が生まれたのに驚きました。

 

しかし、なんでここに至ったのかを掘り下げてみてわかったんです。この発想の出どころは善の気持ちではなくて、ただ無駄が嫌いなだけでした。

どうせ変わらないわたしの現状があるならそれにも意味を与えられたいと、変える努力をせずに諦めているだけなくせに傲慢ですが、そう思ってしまいます。無駄なら苦しみたくないですもの。苦しむから無駄にしないで、それだけでした。

だから、わたしたちが虐げられている現状を未来に還元できればいいのに、と思うようになったというわけです。

まあ、なんだかんだと言ったところで今は誰もがみんな目先の生活に必死で、未来なんて到底考える余裕を持ち合わせていないというのが現状な気がしますが……

 

わたし(たち)のつらさや社会からの不憫な扱いが意味のあるものになるかどうかを決めるのは悔しいけれど政治家の方々。

無責任に、もうわたしたちのことはおまかせしまーす!状態ではありますが、セクハラだなんだとか、揚げ足の取り合いじゃなくて、目先のことに必死な国民に代わって、もっと未来を考えてほしいなと思います。それがお仕事なんだから。

わたしはわたしで今の生活をどうにか、もう本当にとにかくどうにかして、苦しい理由じゃなくて「しあわせ」とか「うれしい」を言語化していける状態になりたいです。う~

 

 

2018/05/14 深依